衒学屋さんのブログ

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「雨季の花嫁花婿たちへ」――資源活用事業#09

植戸万典(うえと かずのり)です。アジサイ花言葉は「移り気」とか云われることもありますが、梅雨の季節は街並みに情緒を添える好きな花のひとつ。

少しずつ梅雨前線も北上し、来週くらいには関東の方も梅雨入りしていくのでしょうか。
天皇・皇后両陛下のご結婚記念日もこの頃ですが、今思い返すとこの時季に設定するというのは勇気あったな、と思います。政府的に。パレードがあるのに(雨天対応のプランもあったとはいえ)。
実際、当日は朝から雨が降っており、パレード直前にやんで薄日がさしたとか(朝日新聞:(時どき街まち)1993年 ご成婚パレード 19万人がお祝い)。
昨年あたりにも聞いたような話です。つくづく今上陛下はそうしたお天気の巡り合わせをお持ちのよう。

それはさておき、今回は令和元年6月17日付の『神社新報』に寄せたコラム「雨季の花嫁花婿たちへ」です。
例によって原文の歴史的仮名遣ひは現代仮名遣いに改めています。

コラム「雨季の花嫁花婿たちへ」

 六月。巷説にこの月の結婚は幸せになれると聞く。六月の「June(ジューン)」がローマ神話における結婚の守護神ジュノーに由来するかららしいが、「June」の語源には諸説あり、眉唾の感も否めない。少なくとも、六月に挙式された天皇・皇后両陛下がお幸せそうなのは、異国の女神のお蔭ではなく、両陛下のお人柄であろう。
 とはいえ、無邪気な験担ぎも可愛いもの。日本では陰鬱になりがちな雨季に一片の彩りが式に添い、ブライダル業界にもありがたい。梅雨明け頃の土用の丑の日に、その食材が絶滅危惧種となっても歯牙にもかけない食文化よりよほど健全だ。
 鰻は他人の財布で食べるとより旨いが、婚姻は他人事ではない。いつ結婚しようと、結婚生活を幸せにするのは己と配偶者の二人だ。もっとも、結婚しなくても幸せになれる時代にそれでも結婚したい相手と御縁があったなら、それだけでも幸せ者である。これを絶滅危惧種にはしたくない。
 昨今はその婚姻を、同性間にも法的に開くべしとの議論も盛んだ。賛否あるようなので本稿でその是非には触れないが、どうあれ多数者も少数者も共に幸福であってほしい。ただ一学徒として想うのは、別姓問題も含め婚姻制度を考えるときは一度「イエ」の制度史をおさらいしても良いのではないかということ。元来「イエ」とは、家産と家業、そして祭祀を伝えるものだった
 法制上の問題は一旦措くとして、挙式自体は法と直接に関わらない。しかし、世のどのような儀式であっても神前に額づくのであれば、何に畏み、何を誓い、どのような加護を願うかが本義だろう。儀式の設えもそれに則り用意される。
 神前婚は明治以降そのフォーマットを確立させた儀式だが、価値観の多様化した現代、今あるその様式が当の両性両家の誓いと願いに見合ったものか、都度問われている。それは神前婚だけに限らない。祝詞が祭典ごとにオーダーメードであることを考えても、我々は神前で既存の型に嵌まろうとするのではなく神へ真摯に向かいたいし、真摯な心に沿ってゐるからこそその儀式は意味がある。神事は単なる「コト消費」ではないのだ。
 そのうえで敬神の念のもと挙式するなら、六月の女神に祝福を頼むのも悪くないが、立場上やはり日本の神々を推したい。ただ太初のカップルを見れば、千人殺すの千五百人産むのと喧嘩別れで悩ましいところだ。しかしそれも、酸いも甘いも噛み分けたヴェテランだと考えることもできる。それに『日本書紀』正文ではその二神は添い遂げたはず。第一、ジュノーと同一視されるギリシャの女神ヘラも、夫神ゼウスと口論は絶えなかった。
 梅雨はまだ暫し続く。しかし雨の後は、幸せ者の両人を祝う虹が立つことを祈りたい。

(ライター・史学徒)

※『神社新報』(令和元年6月17日号)より

「雨季の花嫁花婿たちへ」のオーディオコメンタリーめいたもの

結婚にしてもその儀式にしても、表層的なところで直接感じられる楽しさ嬉しさも大切ですが、たまにはその本質の部分が何なのかをあらためて確認することも必要なんじゃなかろうか、と思ったコラムでした。

神前婚では、しばしばイザナキ・イザナミの二神が中心にされておこなわれていますが、古事記ベースで考えると以前から疑問でした。これから互いを良き伴侶として歩んでゆく2人にはいささか似つかわしくないのではないか、人生いろいろあるとしてもいきなり喧嘩別れのカップルに誓わなくてもいいものを、と。
もっとも、だったらどの神様が良いのかとなると難しい。オオクニヌシも一夫多妻なので、現代の理想にそのままなぞらえることもできないですし。
まぁ夫婦像というものも時代によって異なりますし、現代的感覚をそのまま神様にあてはめなくても良いのでしょう。それぞれの神社の祭神の前で、当事者の2人が将来に向けて気持ちを新たにすることが大事です。

なおこちらでも書いたとおり、この記事でも「男女」や「夫婦」という表現はあえて使っていません。
理由は前述しましたが、付け加えれば、この記事で最後に「虹」と書いたことから察していただければ、と。

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