衒学屋さんのブログ

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「うらやすの国」――資源活用事業#11

植戸万典(うえと かずのり)です。生きていれば何かの所為にしたいこともたくさんあるのが人生。その責任を負わせる先として、最近はコロナと、あとドルチェ&ガッバーナの香水が人気のようです。

疫病だけでなく自然災害もあり、さらには不景気で、文化財の保護はどうしても後回しにされがちです。
もちろん優先事項として人の生き死には重要ですが、文化財を継承していくための措置も放っておいて良いものではないでしょう。

今回は、令和2年7月20日付『神社新報』の「杜に想ふ」欄に寄稿したコラム「うらやすの国」です。
やっぱり歴史的仮名遣ひは現代仮名遣いに置換しています。

コラム「うらやすの国」

 心安らかな日が遠い。何でも「コロナの影響で」で済まされそうな昨今だが、現実にはそうはいかないこともある。この原稿の締切がそれだ。
 八月で文化財保護法が施行七十年を迎える。昭和二十四年の法隆寺金堂壁画の火難を機に立法されたそれは、本邦における古器旧物保存の歴史を継承してこれまで運用されてきた。先日の豪雨でも国宝の青井阿蘇神社はじめ多くの文化財が被災したが、災禍にあって人命第一は当然としても、同時に文化を伝えてきた資料をどんな状況でも未来へ遺すには平素からの体制と方針が肝要となる。
 同法は昨年に改正法が施行され、今年は文化観光推進法も疫禍のなか成立した。いずれも日本が観光立国をめざすというなかで地域や観光の振興を目途としており、文化財は「保存から活用へ」転換を迎えたとされる。ただこれには、本来相反した営みであるはずの「保存」と「活用」のバランスに心を砕いてきた博物館関係者から議論もあった。今それを云々する暇はないが、一学芸員有資格者として願うのは、文化財は活用のための保存でなく保存のための活用であってほしい。
 博物館は文化施設であり研究施設であり社会教育施設だが、多くの場合は観光スポットと見られている。そこは社寺も変わらない。毎朝の通勤途中に社参する人がある一方、熱心な信仰を持たない人にとっての神社仏閣とは、手垢のついた表現をすれば一種のテーマパークなのだ。そうした面は昔から社寺にはあったもので、特別な立地と施設とイヴェント、そして土産となる品が揃ったそこは、非日常を味わう行楽地としての魅力が詰まっている。もちろん神社にとっては祭祀の厳修が至上命令だが、祭祀という信仰を文化財に擬えた場合、その「活用」として境内をテーマパークと捉える思考実験は神社の「保存」においても有効に思える。
 テーマパークでは、便利さもさることながらその空間内の「世界観」を損ねないことが大切だ。その意味では、この七月に営業再開した、東京に隣接する浦安市の某夢の国などは象徴的な存在だろう。園内の至るところに及ぶ徹底ぶりは素直に感心されるし、俗事を忘れてその世界に浸ることが叶う。神社がそのすべてに倣うことはできないしすべきでもないが、社頭で新たな手段を採る際はそれが境内に馴染むのか考える参考にはなろう。
 また観光施策に力が入れられるのはこの疫禍の後だろうが、観光は訪れるゲストが心安らかに楽しめてこそのものだ。神武天皇紀によると、伊奘諾尊は日本を浦安の国と名付けた。意味するところは心安らぐ平和な国ということ。日本が観光立国をめざすなら、誰しもが心安らかに旅を楽しめるよう、斯界はこの国が「浦安の国」となることをさらに祈らなければならない。

(ライター・史学徒)

※『神社新報』(令和2年7月20日号)より

「うらやすの国」のオーディオコメンタリーめいたもの

博物館学芸員資格の課程の履修中、学芸員の心構えとして、極論を言えば自分の身よりも資料の安全を優先しろ、といったことを言われたことがあります。学芸員ならそのくらいの気概で資料を扱え、という教えでした。
文化財の保存と活用の問題を考えるとき、今でもそれが自分の中でのひとつの価値基準になっています。

「浦安」の地名は、「浦、安かれ(海辺が平和でありますように)」という願いをこめて付けられたとされます。ただ一説には、日本が「浦安の国」と称されていたと神武天皇紀にあることに由来するとも。
そのため浦安市では、『日本書紀神武天皇31年4月の「日本者浦安國(やまとはうらやすのくに)」の一節を含んだ部分を書にして、市役所の1階に展示しているそうです。

www.city.urayasu.lg.jp

最近も「舞浜」の地名の由来が、従来の「マイアミ・ビーチ」説ではなく「浦安の舞」であることが話題になってました。

www.buzzfeed.com

以前からマイアミじゃなくて浦安の舞だろうとの指摘はありましたが、町議会の議事録という史料が確認できたのは価値ありですね。
近現代史も探ってみれば思いのほか新史料の発見があるのではないでしょうか。

ディズニーリゾートというまさにアメリカ資本主義の代表格みたいな存在のお膝元が日本文化贔屓な地名であるというのも、ちょっとイメージに違和感があって、それはそれで面白いものです。

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