衒学屋さんのブログ

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「「空気」の子」――資源活用事業#12

植戸万典(うえと かずのり)です。空気も急に冷たくなってきました。昨今は冬物への切り替えタイミングが難しいです。
それぞれ夏がダメだったりセロリが好きだったりするのでしょうが、自分はこの時期の凜と冷えた朝の空気が妙に好みなのですけど、共感は得られるのでしょうかね。

空気と言っても、日本人にはもうひとつ別の意味で「空気」があります。
それこそ、現在の疫禍の中でもその「空気」はさまざまな形で姿を覗かせているのでは。マスクの有無や県外ナンバー等々、ステイホームで人と人の交流が減る中でも「空気」は世間がある以上はしぶとく発生するものです。

そんなことで今回の資源活用は、令和元年9月23日付『神社新報』の「杜に想ふ」で書きました「「空気」の子」です。もちろん、旧仮名は新仮名に置換済み。

コラム「「空気」の子」

 山本七平の先駆的著作に『「空気」の研究』がある。戦艦大和の沖縄出撃などから「場の空気」を考察したもので、山本日本論では『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン著)と並ぶ代表作だ。「KY」が「空気が読めない」の略として流行したのは一昔前だが、最近も「忖度」やら何やら、上から下まで本邦は古今「空気」に支配されてきた。
 学術的にはドイツでも既に「沈黙の螺旋」理論が提唱されていたように、「空気」的現象には普遍性がある。ただ輸入概念の「社会」より「世間」が根強い日本では、「KY」からも窺われるとおり寧ろその支配が肯定されてきた。日本語の「社会」はソサエティーの訳として、北宋の儒書『近思録』に見える「郷民為社会」などから福地桜痴が用いて以降定着したものであり、別に「神社で会う」ことではない。
 東日本大震災の折も、非常時でも秩序正しい日本人の行動が世界で称讚されたと一部の層は御満悦だったが、関東大震災を鑑にシニカルに見れば、善し悪しは兎も角「空気」に従っただけだと解る。しかし「空気」は当事者にも認識し辛い代物で、記録にも顕れ難く、個人的にも院生時分から専攻の研究に取り入れようと思いつつ史料の制約もあって虚しく年月を経てしまった。
 見難いからこそ人はバロメーターを欲する。本来バロメーターとは気圧計や晴雨計のことだが、日本ではそれよりも、不可視の物事の状態を推測する目安となるものを指すことが多い。空気の重さを量り、気象の変化を読む器械が、「空気」に支配され、「空気」の同調圧力で風向きの決まるこの国では指標を表すというのも皮肉だ。
 斯界はその「空気」をどう馭しているだろう。本庁憲章に、神職は「社会の師表」たれとある。「師表」とは世の範となる人、それは「空気」をも超克し得る人のはずだが、神職と雖も神ならぬ身、一朝一夕にそうなるのも難しい。己を含めて誰も彼も均せば概ね普通の庶民で、現実は寧ろ「社会の指標」だ。その意味では、神社界はプリンシプルのない日本という社会の「空気」の申し子なのかもしれない。こうしたKY発言が編輯部にも迷惑をかけるのだが、それもこれも山本七平曰うところの「水を差す」だと強弁して理解戴こう。改憲にせよ奉祝にせよ気運醸成の得意な斯界だが、その気運はいつ海軍も抗い切れなかった「空気」に変じ、我々を支配するかわからない。
 そう云えば、気のおけない伴侶のことも「空気みたいな」と喩える。普段意識しないが大切な存在という意味であろうが、もし我を支配する存在という意味だとしても、なんとか心と秋の空の俚諺からして、いずれその空の色を知るバロメーターの方が、社会の指標なんぞよりも庶民にはよっぽど重要に違いない。

(ライター・史学徒)

※『神社新報』(令和元年9月23日号)より

「「空気」の子」のオーディオコメンタリーめいたもの

代々木の九龍城こと代々木会館が解体されると聞き、某映画を思い出しながら書いたコラムでした。
内容はほぼ無関係なんですけどね。

イザヤ・ベンダサンは、やっぱり山本七平の変名ということで確定なんですか?
山本七平って、結局何の専門家かわからないけど知の巨人的なポジションを得ていた人でしたよね。顧みると世間に対して水を差し続けていたように見えます。
いけない誘惑とは知りつつ、その生き方にちょっと憧れる。

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