衒学屋さんのブログ

-Mr. Gengakuya's Web Log-

「虹立つ島々のJINJA」――資源活用事業#17

植戸万典(うえと かずのり)です。こんなご時世、海外はその距離以上にずっと遠く感じるようになりました。

ステイホーム、巣ごもり、おうち時間――、そんな言葉が、みんなで意識してできるだけ肯定的に伝えられている昨今。海の外どころか家の外ですら遠くなったこの1年の間で感じざるを得ない閉塞感を、私たちはポジティブな言い回しで少しでも紛らわそうとしているのではないだろうか。

インドア派の自分は在宅をさほど苦には感じないけれど、それでもやっぱり異国を訪ねたときのあの解放感や未知の土地を歩くあの昂揚感は懐かしい。
いつかまた、南国の青い海を、ヨーロッパの石造りの街並みを、アジアの彩り豊かな市場を、大陸の果てまで広がる平原を、この肌に感じられる日を心待ちにしている。

さて今回の資源活用は、平成30年春発行の神社広報『まほろば』第56号に掲載された「虹立つ島々のJINJA」です。
明治150年の記念の年に全国の神社で配布される広報誌に寄せた、ハワイのお話。海外が今以上に遥か彼方だった明治時代に海を渡った移民の人々と、そして現代も期せずして遠くなってしまったあの色鮮やかな島々に思いを馳せて。

「虹立つ島々のJINJA」

米国・ハワイ諸島。青い海が広がる南の島に、日本人のよく知った「神社」がある。日系移民150周年を迎えたこの年、トロピカルな神社参拝の旅にでてみよう。

常夏のハワイにはよく虹が立つ
 南国の太陽が生むそれは、神話からナンバープレートのデザインまで、楽園の象徴だ。
 そんなハワイ州で最大のハワイ島を、地元の人は親しみを込めて「ビッグアイランド」と呼ぶ。日本風にいえば「布哇大島(はわいおおしま)」といったところか。火山とフラとコーヒー、そしてカメハメハ大王の本場である。
 オアフ島ホノルルから国内線で50分ほどの距離にある、州第2の都市ヒロ。ビッグアイランドの中心のこの町には、かつて湾沿いに日本人街があった。空港から車で約5分、マウナケア山を臨む住宅地にふっと姿を見せるその“神社”も、往時はその湾岸に鎮座した「日本」のひとつ。
 最初に日本からハワイに移民が渡ったのは明治元年、今年でちょうど150年だ。しかしそこは時代の転換期。幕府との契約で送られた彼ら「元年者(がんねんもの)」は、明治新政府の公認とはならなかった。政府の移民許可は、1885年(明治18年)まで待たなければならない。移民はそれから1924年大正13年)まで、20万人以上がハワイに渡ったという。
 そうした日系移民により、たくさんの日本文化がハワイと出会った。今では現地の正装となったアロハシャツも、起源は和服とも。日本の宗教も、1889年に浄土真宗本願寺派の僧侶が伝導しはじめたのを端緒に、様々な宗派の寺院が島に渡った。
 移民らの労働は苛酷だった。公休日は11月3日の明治天皇誕生日(当時の天長節)。1898年、その公休日に「大和(やまと)神社」がビッグアイランドのヒロ湾近くに創建された。湾岸に建ったその神社は、大戦や津波の苦難を乗り越えて、住宅街に移転した今も「ヒロ大神宮」としてたたずむ。海外神社では現存最古の由緒を持つとされる。
 ハワイ島の神社も現在ではヒロ大神宮だけだ。移民一世やその信仰を受け継ぐ日系人にとっては、氏神様のような存在。伊勢の神宮大麻を受ける家庭も多い。初詣の風習も健在で、お正月には日系・非日系を問わず大勢の地元民が参拝する。
 ニッポンの夏の風物詩「盆踊り」は、ハワイでも「ボンダンス」として、若い人の社交場となるほど盛ん。6月頃から毎週、各寺院の持ち回りで開かれていたところに、最近ヒロ大神宮も夏祭の一環として加わったのだそうだ。神社に櫓(やぐら)が組まれると、日系人だけでなく白人もハワイ人も、老若男女が集まってくる。
 キリスト教が根づき、火山の女神ペレも崇拝するハワイの文化では珍しはずの神社が、ここではその環境に溶け込んでいた。そんな風景を求め、近頃は日本人観光客の姿もほぼ毎日。日本人がハワイでお守りや御朱印を授かるというのも奇妙だけれど、ここを訪れて神社を身近に感じられたという声も聞こえる。
 州都のホノルルでも神社は人気だ。ハワイ出雲大社やハワイ金刀比羅神社太宰府天満宮にも、崇敬者や日本人の参拝は多い。
 こうした数々の「日本」を、異国の地で今に伝えてきてくれた人たちには、自然と頭がさがる。
 遠い故郷との縁を繫ぐ心の拠りどころとして、海を渡った神社。今では移民だけでなく、海外を旅する日本人も魅了する。もしかしたらそこは、私たちが「日本」を再発見する場所なのかもしれない。

※『まほろば』第56号(平成30年4月1日発行)より

「虹立つ島々のJINJA」のオーディオコメンタリーめいたもの

ハワイは何回旅をしても興味はつきません。
欧米も東南アジアも中東も中央アジアも、それぞれ魅力的ですが。

現在、海外神社は各所にあることが知られています。アメリカ本土やヨーロッパでの活動もあるようです。
www.tsubakishrine.org
shintoinari.org
www.sanmarinojinja.com
もっとも、戦前に日本人コミュニティに必要とされて創建し、それが日本本土との交流を今も保ちながら存続しているものとしては、やはりハワイの存在感が一番でしょう。
そのハワイの神社も、近年は寂れるものが続いているようです。

日本国内の過疎地域でも言えることですが、信仰する人がいなくなったときに聖職者の事情や部外者の心情でその寺社を生き長らえさせることが宗教施設として正しいことなのか否か、しばしば考えてしまいます。
だからこそ自分は、異文化のなかで今なお残る「日本」に憧憬と哀愁をどこかに覚えるのかもしれません。

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