衒学屋さんのブログ

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「文を好む木の実の季」――資源活用事業#25

植戸万典(うえとかずのり)です。夏(の暑さ)がだめだったりセロリが好きだったりします。

雨は降るときは降るし、降らないときは降りません。
何が言いたいかというと、世の中は予想どおりになるとは限らないし、台風が近づいているからとコロッケを用意しているときに限って進路はそれたりするもの、ということです。
今年の台風もできるだけ被害が出ませんように。

ここで再掲するコラムも、雨の降る時季に載せたもの。
正確には、梅雨の時季に載ることを見越して書いていたのに、掲載号(7月4日付)の直前にまさかの東京では異例な早さの梅雨明け発表があって猛暑続き、ちょっとあてが外れちゃったなァとヤキモキしていたものの、結局掲載号当日は雨空になって少々安堵した、といったものです。
梅干しほどに酸味は効かせていませんが、箸休め程度になろうかと。

なほ、初出の『神社新報』では歴史的仮名遣ひを徹底してをりますが、こちらではすべて現代仮名遣ひへと直してゐるのはいつものこと。
ただ今回に関しては、旧仮名の方が味はひがあったかもしれません。

コラム「文を好む木の実の季」

 雨が降っている。
 雨音は心地好い。しとしとそぼ降る雨も、ざあざあ篠突く雨も、どれもその音は水気を帯びた大気をまるごと覆い、世界を少しだけ静寂の内に包んでくれる。
 雨は三余の一。漢籍に、冬と夜と雨の日が読書に適した余暇だとある。確かに、窓外の雨音を聞くともなしに聞きながら目で文章を追っていると心が満ち足りてくる。出版社のノベルティで付けられた広告の栞と書店員の職人技でかけられたブックカバーをちょっと申し訳なく思いつつ横に避けてお気に入りのそれらに替え、ひねもすページを捲るのだ。雨の匂いに紅茶のフレーバーでも添えられていたら、なお佳い。
 雨季をこの国は「梅雨」とも呼ぶ。字面に相応しく、その季節は黄色に熟した梅の実の桃にも似た馥郁とした香りが漂う。わが家も梅仕事を始めて、薄曇りの日のリビングには果実の爽やかな香気が広がった。水で洗い、へたを取り、氷砂糖と交互に硝子瓶に詰め、ホワイトリカーに浸す。酒精はブランデーやウイスキー、日本酒なども善い。この梅酒にありつけるのは半年後か、一年後か。
 雨天は机に向かうのに適する日だが、梅も古く「好文木」なる雅称が与えられてきた。漢籍に、とある皇帝が学問に励むと梅は花を開き、やめると花は散り萎れたという故事があるとされることに由来している。鎌倉中期の説話集『十訓抄』で広まった話だが、元は『晋起居注』が出典だと一般的には云われている。「起居注」とは、皇帝の言行を側近が書き留めたもので、後々史書編纂の素材ともされた記録だ。それの晋朝のものだろうか。平安中期に藤原佐世が纏めた日本最古の漢籍目録『日本国見在書目録』にも「晋起居注」の記載が見え、古く日本にも伝来していたと窺われるが、残念ながら現存はしておらず、しぜん伝聞調の表現になってしまう。
 雨に煙った遠山のように曖昧とした話だ。典拠として『晋起居注』が持ち出されるのも織豊期以降で、そうした史料でも皇帝は晋の哀帝だったり武帝だったりとちぐはぐ。そのためこの故事は以前から疑問視されてきた。近年になり韓雯氏の研究「「好文木」考」で論じられたところによると、菅原道真飛梅伝説の信憑性を高めるために伝説に付随して語られた作話と推測され、のちに室町時代の禅僧らの五山文学において道真公を学問の神として崇拝した天神信仰と彼らの愛梅趣味が結び付き、梅の「文を好む木」という印象が定着して、そこに『晋起居注』が出典として付されるようになったと考えられている。
 雨水が地面に染み込むように、鎌倉時代を発端とする梅と天神の特別な関係は日本中に滲透して、今や天満宮の梅園は枝もたわわに実を結ぶ。本を正せば作話だが、文道の祖にあやかる勉学の実りの象徴には、この時季の雨滴に濡れた梅の実ほど適役はいなかろう。

(ライター・史学徒)

※『神社新報』(令和4年7月4日号)より

「文を好む木の実の季」のオーディオコメンタリーめいたもの

コラム内で引用した論文「「好文木」考」の筆者である韓雯さんのお名前が雨冠に文というのは、奇遇なこともあるものだと思いました。

我が家の梅酒もだいぶ好い感じになってきました。漬けて2か月程度なのでまだまだこれからですが。

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