衒学屋さんのブログ

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「マスクとはなしづめ」——資源活用事業#29

植戸万典(うえとかずのり)です。生粋の花粉症持ちとして生きてきました。

この疫禍になってから花粉症患者としてちょっと良かったことのひとつが、TPOを問わずマスクを着けていても文句を言われないことです。
以前だったら、花粉が飛散する真っ只中であっても格式ばった場面ではマスクを外すように強いられていたので。

そう言えば、十年くらい前にヴェトナムのハノイホーチミンを旅したときは、現地の多くの人たちがカラフルなマスクを着けてバイクに乗っていました。今ではどうなっているのでしょう。
疫禍もだいぶ落ち着いてきたので、またいろんな国々を見てみたいものです。

ちなみに今回のコラム転用は、本掲載時の歴史的仮名遣ひのまま載せています。理由は後半で。

コラム「マスクとはなしづめ」

 春爛漫たる三月は、古く朝廷では花鎮めの祭りの季節でもあった。神祇令季春条に規定されたそれは、花そのものを鎮める祭りではない。『令義解』等によると、花散る時期に疫神が拡散して流行病を広めるのを 鎮遏 (ちんあつ)するためにおこなはれた。朝廷のものは大神神社狭井神社の神事だが、京都紫野は今宮神社の「夜須礼祭」なども花鎮めの祭礼といふ。祇園祭だの茅の輪だの、世相もあって近年はかうした疫病の歴史や伝承も注目された。
 もっとも花期に飛散するのは疫神だけではない。花粉も飛ぶ。自分はある時期からは、夏は暑くて冬は寒いのと同様に春は花粉症の季節だと諦めることにした。もちろん諦めたところで目は痒いし、くしゃみは出る。疫病もさることながら、現代病患者的にはむしろスギの花を鎮めてもらふ方が切実だ。
 そんな疫病と花粉症の春は四度続いたが、新型コロナウイルス感染症への向き合ひ方も変はらうとしてゐる。思ひ返すと三年前の春から全国の神社は、鎮花祭ならぬ感染症流行鎮静祈願祭をおこなひ、日々の祭典での辞別祝詞で終熄が祈られてきた。さうして迎へた転換期、疫禍への方針は変はるが、終熄宣言が出ることはない。祈願と報賽を対だとするならば、願解きはどうすれば良いだらうか。
 マスクは、良くも悪くもこの三年間の象徴だった。それも政府の方針転換で、すでに今月十三日から、著用は個人の判断に委ねられてをり、歓迎する声も聞こえる。古代では冠を脱いで髻を見せることが恥であったやうに、素顔を曝すことを恥ぢる世の中になることも想像はされたし、一部ではさうした兆しこそ見えたものの、三年の年月はそれが社会的な常識となるほどの期間ではなかったやうだ。
 これからはまた令和元年までの社会に戻るのだらうか。ただ、法令上の分類が変はったところで、その瞬間に現実のウイルスが全くの無害になるわけでもない。コロナウイルスだけが病原体でもないのだ。どんな感染症であっても罹患しないに越したことはないし、死ななくとも他者に辛い思ひをさせることがないやうに対策することは、これからも必要なことだらう。少なくとも、アマビヱの方がマスクより有効だったといふ話は寡聞にして知らない。元来「アマビヱ」なる疫病除けの伝承なぞ無く、近来流行った巷説なのだし。
 マスクにも政策にも賛否ある。だがそれが社会の分断へと至り易い現代は、面倒でも、十分な距離を置いて各々の立場を尊重しつつ建設的に話し続けるしかない。素顔を曝さず話すマスク生活は、さうして話しづめる素地を養ふものだったと肯定的に捉へてみよう。
 ちなみに自分自身の立場としては、個人の判断に委ねられてからもマスクは着け続けてゐるし、当分は外す予定もない。なぜなら、スギ花粉の飛散が終はっても、ヒノキ花粉が続くからだ。のどは痒いし、洟は出る。まだしばらく薬で鎮めてゐなければならない。

(ライター・史学徒)

神社新報』(令和5年3月27日号)より

「マスクとはなしづめ」のオーディオコメンタリーめいたもの

このコラムは、本掲載の『神社新報』が歴史的仮名遣ひ推奨媒体なので成立させられた構造のネタでした。転載するにあたって普段なら現代仮名遣いに直すところですが、構造上「はなしずめ」では意味を持たせられないところが出てきてしまうので、そのままにしています。

今回のギミックは、「はなしづめ」を(細かく言えば)クワトロミーニングにしたところにありました。そう言うとなんとなく格好良いですが、要は駄洒落です。

  1. 疫神を鎮める(=鎮花祭/花鎮め祭)
  2. 花(=花粉)を鎮める
  3. 話しづめる(=とことん話し続ける)
  4. 洟(=鼻水)を鎮める

上の4つの意味に「はなしづめ」がかかっています。この中で3に関しては「はなしずめ」にはできません。仕方ないので今回は旧仮名のまま載せました。

そうこう言っているうちに、今年のスギ花粉もヒノキ花粉も終わろうとしています。
しかし我々人類は忘れてはなりません。花粉症にはイネやブタクサもあることを。そしてまた来年の春には恐怖に怯えることを。

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