衒学屋さんのブログ

-Mr. Gengakuya's Web Log-

祭とは――神事と芸能と直会と

惜春のみぎり、植戸万典(うえと かずのり)です。月イチ更新が定番になってきました。

3度目の緊急事態宣言の発出ですね。
いや、まん延防止等重点措置だの、県独自の宣言だの、あるいは企業や組織ごとの対応だのを含めれば、我々はもうどれだけの命令とも要請ともつかない同じようなアナウンスを聞いてきたことやら。

神社界隈でも、似たような話題が繰り返し耳目に届いてきます。
疫病といえば――と、昨年来どれほど崇神天皇紀の大物主大神の説話が見聞きされたことか。
変わらない祈りのために、とも言われはしますが、それでも一崇敬者としての人々の「祈り」の主眼はこの疫禍において随分変わってしまったように思います。

こうした状況に対する「馴れ」と「飽き」とに満たされた今の世間を眺めると、1年前は良くも悪くもハイな状態――ある種の「お祭り」状態だったのだなぁと懐かしくすら感じます。
リモート飲みを今でもやっている人はどれくらいなのでしょう。

一方で本当の「お祭り」は、例祭の神輿渡御や賑わいとしての神賑行事などに関し、去年に続けて見送る判断をした神社も多いようです。社殿で神事だけおこない、辛うじて区域を祭神が巡る神幸はできたとしても、祭囃子も獅子舞も、お神酒の振る舞いも取り止める、という。
こんな世相です。それも致し方ないことだと皆理解できましょう。その半面で思い起こすのは、お祭りとは神事だけのことではないと感じた、まだ今のような世の中になるとは予想だにしていなかった頃のことです。

以前、浅草に店を構える御神輿・太皷司「宮本卯之助商店」の7代目宮本卯之助氏に、神社広報誌のためインタヴューさせていただきました。平成も残すところあと一年という時のことです。
三社祭に命をかけているような浅草の町で、その祭に欠かすことのできない神輿と太鼓を担っている老舗のご当主です。誰よりもお祭りとともに生きてきた方。そうした卯之助氏に「祭」の意義を伺うと、こんな答えをもらいました。

「例祭でいえば、神事で気持ちが引き締まった後、笛や太鼓で囃(はや)して氏子を高揚させていく芸能があると思うんですね。それから直会(なおらい)。神事だけで終わらない、かといって芸能だけでもない、神事・芸能・直会の3つが一体となった形がきちっと毎年繰り返されている。繰り返すことで、神様の教えを庶民に伝えているのだと思います」
神道には『古事記』や『日本書紀』といった神典はあるけれど、聖典はないわけですよね。日本ではお祭りの中でその聖典みたいなものが再現されて、庶民の心に根付いているのかと。大事なものがお祭りの中には込められていて、だから1年に1回、神事と楽しみを通してそれが庶民の心に伝えられて、残っていくんじゃないかなと思うんです」*1

慧眼だと思い、インタヴュー記事では締めの部分に使わせていただきました。

話を伺ったのは平時でのこと。浅草という町そのものも、神社を中心にさまざまな新しい変化のきざしが見られた頃でもありました。
しかしあれから数年が経ち、疫禍対策として神事のみが斎行される・されたというニュースを日本各地から聞くたび、このインタヴューを思い出し、お祭りの意義を考えてしまうのです。

芸能と直会が揃わなくなった「祭」は、あとどれくらい続いていくのだろうか。

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*1:神社広報『まほろば』第56号(平成30年4月1日)9頁「日本が誇る一級品 伝統工芸の技と心」