衒学屋さんのブログ

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「大一大万大吉」——資源活用事業#32

植戸万典(うえとかずのり)です。今年は「あけましておめでとう」とはなかなか言いづらい新春となりました。

こういうときこそ一致団結が大切だ、ということは言われがちですし、それそのものは否定するつもりもないのですが、こういうときの「絆」だとか「ワンフォーオール、オールフォーワン」だとかにはちょっと眉に唾つけてしまいます。

コラム「大一大万大吉

 かつては奸臣の代名詞とされた石田三成も近年では研究が進み、再評価されて久しい。その一環か、三成の旗印「大一大万大吉」も「一人が万民のために、万民が一人のために尽くせば、天下は太平になる」の意であると解釈され、ラグビーの「ワンフォーオール、オールフォーワン」の精神に通じているともよく云われる。
 石田三成ゆかりの滋賀県の広報までも採るこうした「大一大万大吉」の解釈はしかし、とある経済学者が二十五年前頃に唱え出した私説だ。同説は、道教神道だとか、北斗星信仰=天照大神信仰だとか、石田三成の政治理念が「愛」による「最大多数の最大幸福」だとか、その歴史学の造詣や神道への理解は独創的に過ぎる感もあり、歴史や神道を専攻する身としては俄かに従いがたい。もちろん一般論として、他分野のプロの研究が参考に資することも多いことは大前提として。
 高橋賢一『旗指物』(昭和四十年)では、大一大万大吉紋を「吉はもちろん、大も一も万も瑞祥的な文字」と云い、また江戸後期の『鎌倉武鑑』には石田為久の紋として載る。石田為久とは、治承・寿永の乱征東大将軍木曾義仲を討った武士だ。『平家物語』にも登場し、三成の先祖とされることもある。
 三成が大一大万大吉紋を用い始めた時期は知悉しないが、家の紋に九曜紋などがあったはずの三成が戦場で「大一大万大吉」を使用したのは、その政治思想というより、為久の武勇の誉にあやかろうとしたのではないか。大一大万大吉紋を掲げた関ヶ原の戦いで対峙した家康はすでに関東転封で源氏へ改姓しており、その「源氏」を討った「石田」という物語をメタファーに利用したとも考えられるかもしれない、と留保つきで断っておく方がまだしも歴史学者らしい物云いだろう。
 「ワンフォーオール、オールフォーワン」はラグビーの言葉として有名であるものの、歴史的には生命保険などの相互扶助の制度に関連してしばしば使われてきたものらしい。その出典も、巷では大デュマの『三銃士』とされがちだが、スイスの伝統的なモットーに見ることもできる。諸説あるが、経済学者の村本孜氏の論文によると、古く欧洲で人口に膾炙した成句であり、文献的に特定の淵源は求められないらしい。
 この「諸説ある」という語も、ただ安易な思いつきを並べて有力な説と同列に扱うことではない。同様に確からしいものを比較し、その最終判断は後代の研究者へと託す学術の営みだ。学界も数多の研究者による総力的な営為である。積み重ねられた先行研究という「巨人の肩」の上に立ちながら、その地平の先を他の研究者らと見ようとしている。そう偉そうに語る自分も古代史専攻だから、本稿は中近世史をリスペクトしてのもので、要は「ワンフォーオール、オールフォーワン」であり、つまり自分の研究も皆に助けてもらいたい、というものだ。

(ライター・史学徒)

※『神社新報』(令和5年11月27日号)より

一応書いておくと、『神社新報』掲載時は歴史的仮名遣ひでした。

大一大万大吉」のオーディオコメンタリーめいたもの

大一大万大吉」が「一人が万民のため…」であるということに関する論文は、近年のものでウェブでも読めるものにはこのようなものがあります。

chuo-u.repo.nii.ac.jp

ちょっと自分には理解することが難しいものです。史学というより、著者の政治哲学的な思想を石田三成の旗印に仮託して語られている印象がします。
例えば、九曜紋は中央の丸が北極星天照大神、周りの八つの丸は北斗八星=八百万の神を示しているとし、その八つの丸には(一例だと断りつつ)さまざまな著名神社を当てているのですが、そこには平安神宮が入っていたりします。平安神宮の創建は明治時代です。

著者にはJ.S.ミルに関する著作もあって、いわゆる功利主義の研究分野をお持ちのようですが、少なくともこれは史学論文ではないと思いますし、著者自身も「私説」だと書かれいてます。
しかしその説が滋賀県の広報にまでも取り上げられていて、世間では歴史的事実であるかのように思われてしまっているのが現状です。

www.pref.shiga.lg.jp

捉え方は自由だと思いますが、一応その史実性は付言しておかないとな、ということでコラムにしました。

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