衒学屋さんのブログ

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水無月の夏越の祓する人

植戸万典(うえと かずのり)です。COVID-19でバタバタしているうちに空気もすっかり夏の温度になってしまいました。

令和2年も半年が過ぎたこの季節、神社ではあちこちで茅の輪が設置され、大祓の行事がおこなわれていることでしょう。
最近は7月になれば「夏詣」なんて新しい風習も流行りつつあったりして、納涼の楽しみも増えています。もっとも、夏越ごはんにはあまり乗りきれていませんが。

現代はこれからが夏の盛りですが、旧暦の6月は夏の終わりです。
神社によっては大祓も旧暦に近い7月末に月遅れで催しているように、そもそも「夏越(なごし)の祓」とは夏を越す時季におこなうから……と云えるほど単純なものでもない様子。

「なごし」とは、鎌倉時代順徳天皇による歌学書『八雲御抄』によると

邪神をはらひなごむる祓ゆゑになごしと云也

とされています。邪神を祓い和めるから、ということです。

或いは室町時代の辞典『下学集』では、五行説に基づけば夏は火、秋は金であり、火は金に克(か)つことから、季節が夏から秋に交代するときに夏の名を越して相克の災を攘(はら)うためだ、とされています。
なんのこっちゃですね。

茅の輪を潜る風習も古くからあったようです。
室町時代に生きた貴族であり当代一の学者でもあった一条兼良の著した『公事根源』の六月丗日の箇所には、

けふは家々に輪をこゆる事有

と記されています。
茅の輪自体は「備後国風土記逸文」に見える蘇民将来の説話が起源とされていますが、潜る作法の方は、遅くとも室町時代までに成立していたと考えられましょう。

さて、この茅の輪を潜るときに唱える和歌があります。
今日では「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」という一首が有名ですが、広く見てみるとどうもそれだけではないようです。

水無月の…」の歌は、和歌の三代集のひとつである『拾遺和歌集』が初出になります。
拾遺集』は『古今和歌集』・『後撰和歌集』に次ぐ3番目の勅撰和歌集です。平安時代一条天皇治世の頃の成立と考えられているので、今からおよそ千年前でしょうか。その賀部に、

  題しらず        よみ人しらず
水無月のなごしの祓する人はちとせの命のぶといふなり

と収録されています。
もっとも、「拾遺」とはそれまでの勅撰集に漏れた歌を拾い集めるという意味のため、『拾遺集』より前の時代から詠まれていたものかも知れません。

この歌は前出の一条兼良による『公事根源』にも引かれ、また江戸時代の『後水尾院当時年中行事』にも、

みな月のなごしのはらへする人は千とせの命のぶといふ也、と云歌を御口のうちに唱たまふ、これらも俗にならふ事にや、されど後成恩寺関白の公事根源抄にも此事かゝれたれば、いかさまむかしより、世俗に有ける事とみえたり

と説かれています。「後成恩寺関白」とは一条兼良のこと。
中世から近世にかけて、「水無月の…」の和歌が茅の輪潜りで唱えられていたことがうかがわれましょう。

一方で、この歌には微妙なバリエーションの違いもあったようです。
伊勢神宮内宮の祠官であった荒木田忠仲が建久3年(1192)に撰したものを寛正5年(1464)に荒木田氏経が改訂増補した『皇太神宮年中行事』には、

六月の名越の祓スル人は千年の命延とこそきけ

とあります(ひらがなの部分は原文では宣命体)。
のぶといふなり」の箇所が「のぶとこそきけ」とされているように、結句が微妙に異なっているのです(「六月」は恐らく「みなづき」と読んでいるのでしょう)。
この詠み方も長く伝えられたようで、江戸時代の官人である中原友俊による『友俊記』にも同様の形で引かれています。

そもそも、茅の輪潜りで唱えられる歌は「水無月の…」だけではなかったようです。
上述の『公事根源』には、その歌の紹介に続けて

然るに法性寺関白記には
思ふ事みなつきねとてあさの葉をきりにきりてもはらへつる哉
此うたを詠ずべしとみえたり

と書かれています。法性寺関白記とは、院政期に活躍した藤原忠通の日記のことです。

この歌は近代にも唱えられていたようです。
現在の國學院大學のルーツでもある皇典講究所の講師であった平岡好文が戦前に『典故考證 現行實例 雜祭式典範』で著したところによると、平岡が奉仕する住吉神社佃島)では茅の輪を最初に左へ廻る際に
思ふ事皆つきねとて麻の葉をきりにきりても祓ひつるかな
と歌い、
次に右へ廻る際に
みな月のなごしの祓する人は千年の命のぶと云ふなり
と歌い、
そして更に
宮川の清き流に禊せば祈れる事の叶はぬはなし
と歌って左へ廻るとされています。
今でもそのようにおこなわれているのかわかりませんが、茅の輪を潜る際の歌はメジャーな「水無月の…」だけではなかったようです。

ちなみに、「水無月の…」の歌の「命」についても、『公事根源』や『友俊記』は「いのち」と読んでいますが、「よわい」と読む例もあるようです。

大阪は住吉大社の夏越祓神事・例大祭住吉祭/南祭/おはらい)では、

住吉の夏越(なごし)の祓する人は千年(ちとせ)よはひのぶといふなり

と唱えるとされています。
www.sumiyoshitaisha.net
冒頭が「水無月の」ではありませんが、住吉流のアレンジと考えて良いのでしょう。祭日も7月末ですし。

少し検索しただけでも相当広範囲にわたって「よわい」と読んでいるところがあるようなので、地域性だけとも結論できないのが今後の課題です。
水無月の…」の和歌が三代集にルーツがあることを考えると、古今伝授ではありませんが、歌学の流派によって読み方の異なる系統が伝えられているのかも知れません。

ちなみに戦前の、そして現代の「神社祭式」及び「同行事作法」には茅の輪の作法までは規定されていません。
つまり多くの神社が習俗としておこなっているものなので、一社の故実が多様なのも然もありなん。

とりとめもない雑考ですが、ウイルス禍で大祓がいつもより注目されているなか、ちょっとした話題の提供になりましたら幸いです。

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