衒学屋さんのブログ

-Mr. Gengakuya's Web Log-

「君の名は」――資源活用事業#04

植戸万典(うえと かずのり)です。自己紹介はあまり得意でない人間です。

花散る春。いつもの年なら出会いと別れと悲喜こもごもの混ざりあった季節となっていたはずが、ウイルス禍という突然の天災で、我々は去りゆく人と別れを惜しむ間もなく、新たな出会いに浮足立つこともできていません。

自分はもともと社交的な人間ではないので交友関係は狭いのですが。でもだからこそ、その宙ぶらりんな状態のやるせなさを各人がどう処理すれば良いのか、心中を察するに余りある。
せめて、とりあえずの平時に戻った暁には、世の中がはじめましての自己紹介を楽しめるようになっていることを祈ります。

省エネ更新の第4回。今回は平成31年3月11日付『神社新報』の「杜に想ふ」欄に寄せたコラム「君の名は」です。
例によって毒っ気強め。また読み易さを考えて原文の歴史的仮名遣いは改めています。

コラム「君の名は」

 と問われて前前前世と歌うか真知子巻きを思い浮かべるかで世代がわかる。蛇足だが、読み方を訊かれることが多い「万典」は「かずのり」と読む。
 人名は難しい。これは史学でも一つの課題だ。歴史上で本名がわかる人物はごく一部、その中で読みまで判明しているのはほんの一握りである。本名は「諱(いみな)」といい、前近代では実生活での使用が避けられていた。時代劇ではよく「信長様」のように呼びかけるが、あれは演出で、実際には考え難い。
 そうした中で本名が伝わるのはオフィシャルな史料に記されるときくらいなので、そうした場に関与しなかった人名は不明なことが多い。仮に記されたとしても普通は読みまで付さないので、当て推量のことも。藤原愛発という貴族の諱は「ちかなり」「ちかのり」「よしあきら」「よしちか」「あらち」などの訓が挙げられる。女性では「高子(たかいこ)」や「明子(あきらけいこ)」なる人物もいた。苦肉の策で、わからないときは音読で回避する。これも伝統的な作法を範としたものだ。「万典」の場合、さしずめ「まんてん」。
 そもそも、歴史的には名やその訓に今ほど固執していなかった節もある。本来は父の諱である「隆盛」で政府に届けられ以後それを使い続けた西郷どんは少々特殊だが、成人まで幼名で、普段は仮名(けみょう)を使い、改名も容易な社会では自然とそうなろう。勿論、各時代なりに名前への思い入れは強いが、今のようにアイデンティティと強固に結びつくのは、戸籍が完全にシステム化した最近の感覚なのかもしれない。また「イエ」の意義が変容した現代は、苗字も個人名に近付いてゐる。之繞の点、示偏の形、読みでは濁音か否かといった小差に拘るのも、活字文化との複合的な産物か。個人的には些末事だが、拘りとはそうしたもの。学術研究も立場が違えば些末事だ。
 読みといえば、年号も近代に整理が図られるまで多様に読まれてきた。大正以降は告示もあるが、明治以前は呉音を慣例とした程度で、それも絶対ではない。個人の名と同様に、必ずしも一つに割きろうとはしなかったのだ。
 年号は言わば特定の時代への祝福や祈願を込めた名付けだ。子の命名にも相通じよう。しかし近代を経て合理性重視となった現代社会では、その命名の意味合いも利便性に後れを取るようになったのは有り得べきことだ。確かに、不便よりも便利は良いことであるが。
 この便利さがより徹底され、年号よりも西暦が正義だという世相へさらに進めば、いずれ個人の識別も「24601」のような「マイナンバー」が公的な正称となり、無情にも名前は俗称扱いとなるかもしれない。その方が合理的なのだから。そうなったとき、我々は胸を張って史料にその名を残せるのであろうか。

(ライター・史学徒)

※『神社新報』(平成31年3月11日号)より

「君の名は」のオーディオコメンタリーめいたもの

「万典」って初見では読みづらいよな、と思い立って書いたコラムです。

夫婦別姓とかの議論も盛んですが、人文学やってた身からすると、「姓」とか「氏」とか「苗字」とかって、そもそも何につけてる「名前」なんだろうと面倒臭いことをまず考えてしまいます。
少なくとも、個人(individual)を識別するものではないというのは、概ね了解されることだろうと思うのですが。
そこが十分に理解されたうえで、じゃぁ今後の日本社会ではどうしていこうか、っていうのは存分に話し合えばよいことだと思います。ただその前提があまり共有されていないように見えるのは、自分が近視だからでしょうか。

それこそ「イエ」というシステム自体、ざっくり言えば血縁関係をベースにした社団や財団のようなものだったとドライに見る界隈からすると、家庭の絆が云々と考えている人とは話をすり合わせるのもなかなか難しい。

ちなみに最後の「24601」は、『レ・ミゼラブル』(『噫無情』)におけるジャン・バルジャンの囚人番号です。映画も舞台も良かった……。

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