衒学屋さんのブログ

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「卯年にちなんで猫の話」——資源活用事業#28

植戸万典(うえとかずのり)です。愛猫家です。

2月22日は猫の日と言われます。「222」が「ニャンニャンニャン」だからだと。
鳴き声の語呂合わせなら、「ミーミーミー」で3月33日も猫の日になるのではないかと思うのですが、そんな日は金輪際ありえないのでやっぱり猫の日は2月22日で良いのでしょう。

ちなみに、Wikipedia情報によると各国にも猫の日があるようで、イタリア等では2月17日、ロシアでは3月1日、米国では10月29日、さらに8月8日が「世界猫の日」だったりするそうです。
世界中「やっぱり猫が好き」なのですね。
ja.wikipedia.org

コラム「卯年にちなんで猫の話」

 寒風に襟を掻き合わせ、街に溢れる干支の動物を睨む。ネタ探しだ。この季節、一部のエッセイストや年頭挨拶の代筆者らは干支にちなんだ話に頭を捻っていよう。執筆依頼に対して、今年はこう訊いているに違いない。「ご注文はうさぎですか?」と。
 神社の界隈では虎との関係が少なく、昨年書いた方々の記事ではひじょうに困ったが、他方で兎は話題が豊富なため、それはそれで困ってしまう。因幡の素兎の神話から神使に繋げて、渋谷の丘の大学のマスコットを語るほど素直でもない。困った性分だ。
 卯年の年始は飛び跳ねる兎にちなみ飛躍の年だとしばしば挨拶されるが、考えてみると他の年もおおむね似たような験を担ぐことを云っている。それも年末まで覚えていることは稀だろう。現代における干支は、年賀状を書く頃に意識し、だいたい春先には誰も話題にしなくなるし忘れてゐる存在なのだ。新聞といふ適時性が求められる媒体のエッセイにおいて十二支を話題にするのなら、今くらいしかタイミングがない。
 十二支の話題と云えば、子供の頃にこんな昔話を絵本で読んだ。十二支の動物を決める競走で、猫は鼠に騙されて遅れたから十二支には入っていないのだ、という由来譚だ。
 この説話は日本だけでなく、世界中に似たものがあるらしい。十二支に生き物を当てることはアジアだけでなく東欧にまで見られる風習だが、各国の人は同じように猫の不在を疑問に思ったのであろう。そう考えると、世の猫の愛され具合を思わずにはいられない。皆「やっぱり猫が好き」なのだ。
 もっとも、ここにヴェトナムという伏兵がいる。彼の国などでの卯年は、兎でなく猫が割り当てられている。テト(旧正月)の街はその年の干支の動物モチーフが賑わう国で、今頃は至るところ猫まみれになっていよう。つまり今年は猫の年でもあるのだ。だがそうだとすると、ヴェトナムでは十二支由来譚がどのように語られているのか、愛猫家として気になるところでもある。
 日本で記録に残る著名な愛猫家の一人は、平安時代の宇多帝であろう。天皇による日記『寛平御記』には父の光孝帝から譲り受けた黒猫が細かく描かれ、猫可愛がりされていた様子がよくわかる。にも拘らず天皇は、その猫を大切にするのは先帝に賜ったものだからだと弁明なさる。飼い主も猫のようだ。
 江戸後期からは招き猫の信仰が流行した。史料的には浅草寺の近辺で売られた丸〆猫が最古だが、起源譚は豪徳寺や西方寺などにも伝わる。そうした猫像は、稲荷信仰における伏見人形の狐との類似性も注目されている。
 今号の執筆のお声掛けには兎という指定がなかったので、ここぞとばかりに猫の話題をしてしまった。年末どころか月末まで覚えていてもらえるかわからないが、年初の紙面にせめての彩りを添えられていたら幸いです。

(ライター・史学徒)

神社新報』(令和5年1月16日号)より
(原文の歴史的仮名遣ひは、転載にあたって現代仮名遣いに改めた。)

「卯年にちなんで猫の話」のオーディオコメンタリーめいたもの

今も日本や中国だけでなく広い地域で馴染んでいる十二支は、お国によってその割り当てる動物が異なったりもします。
よく知られるところでは、「丑」が牛でなく水牛、「未」が羊でなく山羊、「亥」が猪でなく豚といった具合です。
それぞれ近い動物だから理解できます。地域によって基準となるポピュラーな種も異なりましょうし、文化的に同じ動物としてカテゴライズされていることもあるでしょう。英語では「crocodile」と「alligator」で使い分けられているものが、日本語ではまとめて「ワニ」と表現されているように。
日本の十二支を基準にして、他がイレギュラーだと考える必要もないでしょう。

ただ、兎と猫では全くの別種です。
これはどうやら、ベトナム語などでは「卯」と「猫」の発音が近いから、という説が有力のようです。「ニャンニャンニャン」だから2月22日を猫の日だとする発想と近しいものを感じて、親近感が湧きます。

それなら、日本でも「丑」の発音は「チュウ」だからネズミ年だということにしても良さそうなものですが、2年続けてネズミ年ではややこしいし、エッセイや年頭挨拶のネタ被りにも難儀するので、やっぱり今のままが良いですね。

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